東日本大震災から14年で思うこと
先日はいわゆる「3.11」で、東日本大震災から14年。
未だ完全復興とは言えない状況にあり、原発関連の問題(土・水の処分)も終わっていない。
当然だが、自宅に帰れていない人も多数いる。
そんな中、昨年は能登半島に新たな震災と水害。
本当に大規模災害が増えているような感覚がある。
昨日(3/11)の夜、布団に入りながらそんなことを考えていた。
当然のことながら、対岸の火事とは思っていないし、明日は我が身と言う思いもある。
そして当時から今に至るまで、映し出される映像(動画・写真問わず)を思い起こすことになる。
ふざけてるとか、現実味が無いとかそういう意味ではないので、あらかじめお断りをしておく。
もちろん当事者じゃないので、あくまで僅かではあると自負しているが、心を痛めているし被害者・関係者の心中は如何ばかりかと思う。
その上で誤解を恐れずに言うならば、いわゆる「3.11」のことを思うと、どうしても「9.11」を思い出ししてしまうのだ。
それはどうしてなのだろうと自問自答していたわけだ。
「9.11」当日は知人の居酒屋で飲食していた(酒はすでにやめていたので、主に食事目的)。
そろそろシメに向けて組み立てて行こうかと思った矢先、携帯で一報を見たと記憶している。
はじめはニュース記事の意味がわからず、理解できなかった。
「ビルが爆発?…実は、航空機が衝突?」そんな感じだったと思う。
そして帰宅時か帰宅直後にビルから黒煙が上がっている写真を見て、ただ事ではないと思ったのだ。
「3.11」の当日は職場で仕事をしていた。
強さや周期(左右の振幅)から「もしかして少し遠くで相当大きな地震では?」と感じのを覚えている。
「北海道南西沖地震(奥尻沖地震)」を思い出したと記憶している。
この時は流石に規模の大きさから、現地の情報が時間と共に少しずつ明らかになっていった。
その中で初めて見る強烈な津波の威力。
いわゆる何十メートルにもなる高さの大津波のイメージではないものの、その破壊力は凄まじかった。
それこそなすすべなく逃げるだけで精一杯であっただろうし、それもままならないほどでもあっただろうと思う。
2件に共通するのが、見たことも無い信じがたい映像だ。
それこそ、パニック映画でしか見ないような光景が実際に起こっている。
この点が自分の中で、ふたつを結びつけているのだろうと思う。
だからこそどちらかを思い出すと、もう片方を想起してしまうのだろう。
二度と起こしてならない、起きて惜しくない。
自然災害は防ぎようが無いが、備えで被害は軽減できる部分もあろうかと思う。
まだ苦しい環境から抜け出せない方々もいる。
その方々の存在を忘れてはいけないし、備えという部分も日頃から考えるべきなのだろう。
そいうことを年に1回ではあるかもしれないが、気持ちを新たにする機会なのだろう。
※各記事(エントリー/投稿)の内容は投稿時のものです。閲覧時とは異なることがございますのでご了承ください。
コメント投稿