平成の終わりに際し、昭和からを思い出す

巡回先として毎日読んでいるブログで同じような企画がエントリーされていたことと、自分自身でも「やろうかな?」と迷っていたので個人的備忘録として書いておくことにする。

元号が変わるということを意識して一番最初に感じたのが「俺って二時代前の人間じゃん!」ということ。
学生時代までを過ごした昭和が長かったこともあり、二時代前といえば明治であり、明治生まれ=年配のご老人というイメージでした。
それを思い起こしたために自分自身が一気に年をとった気分になった訳です。

同時に思ったことが平成元年四月就職であり、「職歴=平成年数」ということが崩れるということ。
つまり年数換算が面倒だということ。
平成のことも令和のことも時には昭和のことも話に昇るでしょう。
それはいったい何年前だと、頭の中で計算する場合に「一度西暦に換算する」ことが楽ではあったと思うんです。
ネット上には「令和→レイワ→018」として、「令和の年数+18で西暦の下二桁になる(2000年代)」とあり関心しました。
昭和は高校生の頃の社会(歴史)の先生が「俺は25歳だと覚えておけ」と、老眼鏡を直しながら言ってました。
つまり「昭和の年数+25で西暦の下二桁になる(1900年代)」ということだったんです。
では平成は?(以下略)

ここまでは、ほぼ瞬間に思った「たわいないこと」。

まずは「巨星が逝く」ということが相次いだことか。
所謂「大物」や「大スター」な無くなったり、「ギターヒーロー」や「あこがれの人」と呼ばれるような方々が多く他界されました。
非常に残念なことではあるのですが、こればかりは止める術はありません。
時の流れを感じつつ「昭和が終わるな」とか「昭和が遠くなったな」と感じている次第です。

続いて、日本国内の平成の年表があったとしたら様々な方々が言ったり、書いたりしていることですが「災害の時代」ということでしょう。
雲仙普賢岳の噴火や北海道南西沖地震から始まり、阪神大震災や中越地震、東日本大震災、熊本地震、北海道胆振東部地震からの北海道全体のブラックアウト。
これら大きな地震が多かったことに加え、西日本豪雨や関西における台風の被害など、気象における災害も多かった気がします。
地震は「そういう周期」ということなのでしょうか?
また気象に関しても地球規模での変化なのでしょうか?

地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教における事件も平成でしたね。
バブル崩壊からの不景気(個人的には資産が妥当に評価されて「バブルじゃないだけ」と思っています)も相まって、少し暗い時代だったのかもしれません。

一転、我々の生活が劇的に変化した時代でもあったのではないでしょうか?

良い例がスマートフォン。
アナログ携帯電話が「iモード」の出現で爆発的に広り、それに続きデジタル回線へ以降、3G、4Gと飛躍的に変化しました。
音楽もCD自体の出現は昭和であるものの、パソコンの普及(後述)と共にCD化が進み、レコードは売り場からほとんど消えました。
ここに一役買ったのがパソコンの一般家庭への普及と、CD-Rとマルチドライブでしょう。
Microsoft Windows95 の発売や iMac の発売をきっかけに一般家庭へコンピューター(パソコン)が浸透していきました。
そう、このPCの普及も大きな時代の変化でしょう。

何が言いたいかと言えば、昭和の時代からこれらCDなどはありました。
一部現在とは違いますが、その元となったものはあったのです。
これらが花開いて誰もが利用するなった時代ということです。
さらに突っ込んで言うと平成生まれの人…いや、これらの令和を生きていく人々はこれらが「有って当たり前」の世代の人たちなのです。
言われ尽くされていることですが、それが「デジタルネイティブ」なのでしょう。

話はわき道の逸れるが、MDが出た頃。
CDの次は小型のHDDまたはシリコンディスク(所謂RAMディスク)になるだろうと思っていましたし、周りにもそう言ってました。
結果としてはMDが出たので非常にガッカリしたことを覚えています。
しかしながら、結果として所謂「MP3プレイヤー」と呼ばれるものや、スマートフォンの出現でこの流れになってきましたね。
この件も含め、子供の頃に思い描いていた「未来」にまだ追いついていない感があります。
アンドロイドや空を飛ぶ車とか…漫画的な発想なのですが、そんな21世紀があると思っていましたが、もう少し先になりそうですね。

さて、令和はどんな時代になるのでしょう。

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