17年前「アメリカ同時多発テロ事件」だった日

2001年9月11日。
その日は唯一の同居家族である、家人が夜勤のために知人のお店で飲食していた。

当時は今で言う「ガラケー」で、スマートフォンなんてものは無かった。
kAzz はちょっと「思うところがあって」携帯を2台持ちしていた。
(キャリアによる違い等の検証のためで、決してヨコシマな思いではない)
その2台目の携帯の無料サービス期間だったニュースメールが最初だった。

食事していたところが居酒屋だったこともあり、ずいぶん遅くまで長居した。
帰宅後 PC でイロイロと作業後、明け方だったろう TV のスイッチを ON した時の衝撃は未だに忘れられない。

目に飛び込んできた映像は、煙をたてた高層ビル。
そしてジャンボが機吸い込まれるように激突する。
「なんの映画だ?」と、一瞬本気で思った程に現実感が無かった。
それは紛れもなく「こんなことが起こるハズが無い」という思い。

この日から機内に持ち込める液体(それがシャンプーやローションであっても)が制限され、搭乗前のチェックが厳しくなった。
仕方ないことではあるが、不便かつ面倒であることこの上無い。
しかしながらその都度、あの映像を思い出すことにしている。
「万が一」があってはいけないのだ。

本来であれば、そのようなことが起こる根本をなくすことが重要なのだが…
今今はしかたないだろう。

今回はこの件をこの時期、数日過ぎたタイミングで書いているのにはワケがある。
9/5(水)の台風が去って一息つく間もなく、9/6(木)午前 3 時頃の大地震。
実は 9/11 の「今日はあの日から…」的な報道で思い出したくらいだ。
TV 復活=停電からの回復は kAzz が既に出社後、 9/7(金)の 午前 9 時前。

9/8(土)からは少ない飲食物などの入手に奔走した。
9/10(月)や 9/11(火)は弁当用の冷凍食品等が入手できないことからの外昼食。
その日の飲食に精一杯だった気がする。

まだまだ入手出来ない(冷凍食品、乳製品、納豆など)ものも多く、完全に復旧したとは言えない。
そもそも電力だって綱渡りだし、震源地近くや液状化などで大変な状況の人も多い。

未だ完全に気が抜けては言えないが、「とりあえずの一呼吸」的に思えたのは、この 9/11 夜だったかもしれない。
本当にホッと出来て何となく余裕が出てくるのは(物資が無いものの)連休あたりかな?

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