モノの価値観をネットの片隅で考える

某アルファブロガーが書いていたので、個人的に考えてみる。
この方のこと(ブログ)はわりと好きで、ほぼ毎日見ている。
ただ、今回読んだ内容に関しては、「ソレはちょっとどうなの?」ってな具合だったのだ。
だから、自分ならどうか?ということを考えてみる。

この方は、某高級スポーツカーを
・かっこ悪い
・乗っているのはバカばかり
と書いている。さらには、
・公道では能力を発揮できない又は、むしろ不向きである
・かっこ悪い上に高額
という理由から、乗っているのはバカだとも。

それはどうだろう?

まずは、デザインに関して。
kAzz個人も、近年の同メーカーのデザインはイマヒトツ気に入らない。
でも、コレはkAzz個人の好みの問題で、違う意見の方も多いだろう。
現に、メーカーでは「良い」と思ったから、リリースしているのだろうしね。
だから、個人の好みでしかないものを、アルファブロガーという影響力が大きい方が、押しつけるように切り捨てるのはいかがなモノか?

バカばかりが乗っているのは…
「金に物を言わせて、馬鹿なヤツがへたくそなくせに乗っている場合が多いように思う」
や、「目に付く」なんて書き方なら良かったのではないか?
上記と同じ、影響力を考えると、ニュアンスは大事にした方が良いと思う。

最後の「日本で乗るのはバカだ」という点。
飛躍とも言える意訳で書いてしまったが、そういう趣旨だろうと思う。
コレもどうか?ただただ暴言としか言えない。
コレを是とするならば…
燃費(エコ)や、狭い土地柄などを考えると、リッターカー以上は無駄じゃないの?
ってなことになりかねない。
必要で最低限の条件だけをクリアしただけの、車選びとは違う。
ソコには、趣向品というエッセンスがあるのだ。
それを切り捨てることは無い。
少なくとも、ソレを非難することはどうかと思う。
(エコの観点などを指摘するなら、判るけどね)

さて…四十路初心者なkAzz。
子供の頃に「スーパーカーブーム」を経験している。
その時のヒーローは「カウンタック」だった。
梅澤春人氏の同名のマンガにも、子供の頃の夢としてカウンタックが描かれている。
そこなのだ。
車にはそういう、道具としてダケでない何かが有るのだ。
ソレを無視して、それはおかしいと言うならば、車を語るべきじゃないだろう。
(少なくとも、高級車やスポーツカーを語るべきではない)
kAzzもお金が湯水のようにあったら、乗りたい車がある。
いや、手に入れたいと言った方が良いか。
そういう「憧れ」や「夢」が子供の頃のノスタルジックと共に沸き上がる。

例えば、野球少年。
古い例えだが、長嶋茂雄氏と王貞治氏。
彼らが大活躍して、正に「強い巨人」を目の当たりにした野球少年。
その少年が頑張って、プロ野球選手になる頃…すでに二人は引退していたとする。
もちろん、「二人が居ない巨人軍なんて巨人軍じゃない!」なんて反応する人も居るだろう。
だがしかしだ、「あの二人がいた、憧れの巨人軍」で有り続ける場合も多々あるだろう。
そういう巨人軍に入団したいと、希望することがおかしいことだろうか?

そういう「思い」などに対する配慮が欠けたエントリだと思った。
もちろん、指摘した通りのバカが多いのかもしれない。
だけど…
暴走族が問題になったときに、全ての二輪(及び該当の免許取得)を禁止した時のことを思い出した。
ソレは全部(全体)じゃないだろう?ってね。

更にもうひとつ。
高級車に乗ることが判らないということも書いてあったので。
ソレには、「事情」などが絡む場合があることも、考慮して欲しかった。
所謂「しがらみ」やら、対外的なものもある。
そういう様々な「事情」抱えて、車を選んでいる場合もあることを、是非判って欲しい。

まぁ、長くなったが…
イロイロな人が居るんで、頭ごなしに否定するのはどうか?ってことだな。
え?kAzz?
バカみたいにデカイセダンは嫌い。
そういう意味では、賛成だが…だからと言って、乗ってる人を非難しないですよ。
言える相手なら、「俺は嫌いなんで、こっちを選びます」と言うことは有るけどね。

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