音楽との出会い(後編)

とある日のコト。
母親と妹の3人で、買い物に出かけていた。
市内の某百貨店。
通路の左右には、イロイロな売り場・テナントが並んでいる。

とある通路を歩いている時、右側(と記憶)から衝撃が襲ってきた。
ソレはもう、アタマを殴られたかという程の衝撃。
そちらを向くと、テナントのレコード店で、サンプルを流していた。

結論から先に書くと、その曲はYellow Magic Orchestraの「RYDEEN」。
20090208001
例のお馴染みのフレーズが、「ジャン♪ジャン♪ジャーン」と迫ってくる迫力を感じた。
その時の状況は今でも覚えている。
見えるハズのない、音の波がカタマリとなって、自分に迫ってきたのだ。
いや、本当にはっきりと見えた。

透明で実体は無いし、見えるのはおかしいのだけれど、感覚的に見えていたのだ。
前述の2曲以上のインパクト。
そう、後にも先にもこれ以上の衝撃は経験が無い。
聞いたコトがない音色、聞いたことがないジャンル…何もかもが、小学生なりに衝撃だった。
事実、kAzzはレコード店前の通路に立ち尽くしてしまった。
母親の「ほら!行くよ!」(標準語に翻訳済み)の声に、我に返ったという状態だった。

今になって、改めて記録を見てみると、同曲が納められたアルバム(当時はLPレコード)は1979年9月発売。
同曲のシングルレコードの発売が1980年6月。
上記の経験は、このどちらかのタイミングであろうと思うが、前者なら小学校5年、後者なら小学校6年。
(この後の時間経過から前者と思うが、定かではない)

時は流れて中学校に入学。
同年6月…つまり入学して2ヶ月強で、父親の仕事の都合から転校するこになってしまう。
夏のある日のこと。
転校先で、仲良くなった同級生の家に遊びに行った。
「なんか聞くか?」ということで、LPレコードをステレオで聞かせてくれた。
このとき聞いたのが、「RYDEEN」が収められたアルバム(Solid State Surviver)。

友人からレコードを借りて、kAzzのテクノ街道疾走が始まる。
今思えば、このときはYMOブームが既に、一段落していた時期。
(この年、1981年は3月にアルバム「BGM」が発売され、ソレまでとの路線の違いから、大勢のファンが離れたと聞いている)
しかしながら、kAzz的にはスタートで、中学校時代はYMO一色。
この年の冬(1981年11月)発売の「テクノデリック」は当時、毎日何度も、何度も聞いた。

YMOはある意味、特異なバンド(?)で、その文化や技術なども注目された。
その中のひとつが、シンセサイザー。
当然、kAzzもシンセに興味を持ち始めることになる。
これが「楽器」を意識した最初の出来事かな。
どんな音も出る、不思議な…夢の様な楽器だと思った。

全然関係ないケド…
当時のレコード会社の人達は、英語表記だと読んでもらえないと思っていたのでしょうか?
 


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