寝付きは良くなったが、眠りは浅くなった気がする

1988年(昭和63年)3月13日。
海峡線の開業(要は青函トンネルの開通)に伴い、青函連絡船が廃止された日。
(6/3日~9/18日に青函トンネル開通記念博覧会にあわせて1日2往復運行された)
運行開始は1908年の帝国鉄道庁(国鉄)なので、今年は100年、廃止から20年という節目の年。

この海峡線(青函トンネル)にはふたつの海底駅がある。
北海道に近い「吉岡海底駅」、青森県に近い「竜飛海底駅」でどちらも立派な「駅」だ。
その証拠にホームがあり、列車も停車する。
もっとも、駅としての施設は特になく、展示館的なスペースとホーム、それらを繋ぐ通路だけ。
実際には海底トンネル内でのトラブル発生時、地上への避難経路としての役目を持つ。
※現在、吉岡海底駅は新幹線工事のために利用され、降りて見学できるのは竜飛海底駅のみ


脇道に逸れたが、青函連絡船の想い出。
子供の頃、お盆や正月になると両親の実家に行くのが、毎年の行事だった。
その年によって違うが、お盆に母の実家の青森、正月に父の実家の小樽に行くことが多かったと記憶している。
小樽には列車か車での移動になるが、青森へは海路となり、当時は「東日本フェリー」か「青函連絡船」だった。
フェリーや連絡船に乗るまでや降りてからの利便性で、ほとんど青函連絡船を利用していた。
思えば、修学旅行(小学校=十和田湖、中学校=中尊寺など、高校=奈良・京都、東京)も青函連絡船を使ったものだ。

青函連絡船には椅子席と座敷(というのか?)があり、一般的には座敷が人気だった。
(椅子席の方が格段に空いているという状態がほとんどだった)
この座敷というのは、4.5畳程度だろうか?
通路から20~30cmほど高くなった、カーペット敷きの何もない空間だ。
小さな枕が備えられていて、大抵の場合は出発から到着まで(3時間50分と記憶)横になって過ごす。
もちろん、壁に寄りかかって座っている人や、お弁当を食べている人だっているのだけれど、寝ている人が多かった。
(寝ていると船酔いしにくいということもあったようだ)

ようやく本題なのだが…(苦笑)
この青函連絡船内で見た光景が、子供心に「なんでだろう?」と残っていた。
それは、(自分の父を含む)「オッサン」と呼ばれる年代の男性が、腕組みをした状態で寝ていることだ。
これはかなりの「高確率」で遭遇できる光景だと記憶している。
「違和感はないのか?」、「窮屈ではないのか?」…とにかく「なんでだろう?」な光景。
しかし、自分が四十路を目前に…ここ1年ほどはかなりの確率で腕組みしている。
特に昼寝やうたた寝などの場合の確率はかなりのものだ。
最初は数年前だったのだが、その頻度がここ1年はかなり上昇している。

「オッサンは腕組みして寝る」生き物なのだろうか?

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